第5期生保護者父 記 (2006年1月現在 1年生)


第5期生保護者父 記 (2006年1月現在 1年生)

≪森の子教室ってどんなところ?≫
●妻から初めて次男を森の子教室に入会させたいと聞いたときの僕の妻への質問です。聞くところによると園舎が無く晴れでも曇りでも雨でも雪でも野外で活動しているとか…(本当?)、毎日でなく隔日とか…(何故?)。

●ちょっと心配な気もするけど子供も3番目だし(4人兄弟姉妹です)、母子とも気に入っている様だし、「まぁいいか」という軽い気持ちから、次男にも家族全員にもインパクトのある素晴らしい森の子生活が始まりました。でも、ご安心下さい;今は入会前に森の子教室の様子が良く分かる詳細な事前のスライド上映付き説明会やOB・現役保護者との座談会などが用意されています。

●ところで、入会後、私が初めて森の子教室の素晴らしさを感じたのは、その舞台であり教室でも有る「森」の雰囲気・空間でした。そこには、秋(事情により10月から途中入会の為)のパリッとしたすがすがしい森の中で輝いている、色とりどりの葉っぱ、木の実、木の枝、さらさらした砂、&森の子(園児)たちの笑顔がありました。

≪森の子教室で身に付けたモノは?≫3番さん(年少)から2番さん(年中)、1番さん(年長)へと成長するにつれ、皆が皆、それぞれに目に見えて変わっていく、成長していくのが本当に実感できた3年間でした。

●知恵

 社会生活では、『知識と知恵』が大切だと良く言われます。『知識(ある事項について知っていること)』については、学校や塾でもうたくさん!というほど習う事ができるし、最近はインターネットなどの利用により便利に情報が手に入ります。社会人になっても勉強を続けている人もいます。では、『知恵(物事の理を悟り、適切に処理する能力)』についてはどうでしょう。

 森の子(園児)たちが、心地よく厳しくも有る自然の中で、幼いその目をより深く本質を見抜く千里眼として育みながら、自分自身で考える心や自分で創っていく力を養っていることを実感しました。まさに、子供たちは整備された道を進んでいくのではなく、失敗しながら工夫しながら自分なりの道を森の中で切り開き一歩一歩進んでいました(こういう力は大人になってからも、過去の延長線では成り立っていかない不透明な今日の社会において本当に必要であると思います)。

●チームメート

森の子では学年ごとの単位ではなく、縦割りのクラス分けとなっており、「♪チームで、チームで、あ~つまれ!」という掛け声?が有ります。単なる団体生活とチームでの行動では随分違いが有るように思います。森の子(園児)たちは、3番さん(年少)から1番さん(年長)へとステップアップする中で、遊び・着替え・お弁当等日々の保育生活、運動会・遠足などの行事やさまざまな活動を仲間と行い、チームとして必要なそれぞれの役割(リーダーシップ、根気と配慮の要る年少者へのお助け等)を担い、時には対立と協調、けんかと仲直りを繰り返すことによってお互いの理解を深め合い、かけがえの無い仲間(チームメート)となっていました。これは大人から見ても本当に素晴らしいチームワークだと思います。

●保護者・家族

  色々なことを感じ、考え、成長するのは森の子(園児)たちだけではありませんでした。保護者である我々や兄弟姉妹も、サポーターとして森の子教室を支え、行事に参加しました。また、ゆうこさん(先生)とのお話しを重ねるうちに、自分の子供にいつもとは違った角度から向き合う事や考える事ができました。うっかりすると、
保護者にとっても主役は森の子だということを、ついつい忘れがちになる場面も…それほど森の子教室は熱くなれる場所でした。

 秋の運動会で1番さん(年長)が「のけぞりブリッジ」でトンネルを作り、3番さん(年少)がその下をくぐるという場面がありました。最初、次男は体が硬いせいか天井の低いブリッジを、それも15秒ほどしかできませんでした。運動会の1週間ほど前になり、さすがに本人も「このままではあかん!」と思ったのでしょうか、それから毎日本気の練習が始まりました。気がついたときには小学校6年生の長男から当時3歳の末娘まで兄弟4人全員でブリッジの練習をしており、それを私達両親が応援していました。そして、運動会本番では一番さん(年長)全員の立派なブリッジトンネルをかわいらしい3番さん(年少)が懸命にくぐっていました。
≪そして小学校入学へ≫●OBの座談会等でお話しする中で、新しく入会を考えているご両親の心配事のひとつが勉強面での入学準備だと思います。いわゆる字を書いたり読んだりする勉強や英会話などは小学校に入学してからでも十分だと思いますし、心配な方はおうちで「よみかき」の練習をすれば全く問題ないと思います。それよりも自分の目でモノを見て考える力を育むことこそ、この幼少の時期にはとても大切であると感じています。

●現在末娘が3番さん(年少)でがんばっています。2年後どんな一番さん(年長)になれるのか、今から本当に楽しみです。

第3期生保護者(母)記  (2006年1月現在 3年生)


 長男が幼稚園で初めに覚えてきたことが、『~~したら○(マル)で、~~したら×(バツ)だよ。』ということでした。いろいろなことを経験して、“自分の思い通りばかりならない、相手にも気持ちがある”と分かっていく時期に、ただの○と×とで規制してしまうことに愕然としたことが忘れられません。
自己主張も同じで、子どもによっていろいろであり、とても拙い子もいます。でも、各々の成長過程と捉えて子どもの気持ちに添うてくれなければ、一日の大半を過ごす幼稚園での居場所が無くなってしまいます。それを保育者が管理しやすい、という理由だけで画一的な方法を覚えさせる幼稚園に、とても違和感を感じました。

 長女の時には違う幼稚園に。2番目の女の子で、自分だけの場所に満足し、楽しんで行っていました。
しかし、行事の練習の時、親に完璧な成果を見せることが保育者の力量である、という価値観の先生で、娘は萎縮してしまいました。『~~ちゃんはすごく一生懸命練習してるんだよ。でも、先生は怒るの。』

 森の子では 独自の時間で子ども達は成長します。同じことを何度も繰り返し体験し、そして考えて行動しています。大人が持っている規制概念を植えつけられること無く、-「そのままのあなたでいいんだよ。ゆっくり考えてごらん。」-というメッセージの中で自分なりの発想、発見をたくさん重ねて、少しずつ、自分のペースで、身体も心も大きくなっていきます。それを可能にしているのが、柵と枠がない自然の環境と、与えられた課題と時間割がなく、すべては子ども達の意思で進んで行く、という森の子の保育方針です。経験が豊かで、常に子どもの気持ちに添い、いつまでも子どもに対し真摯な気持ちを持ち続ける、保育者とスタッフの力量です。そして、これを金銭面と精神面で支えていくのが、保護者で組織される森の子サポーターです。
 初めての集団に興味津々の3番さんたち(年少)、面倒をみてあげたい、年下の子に頼られたい、と待ち構えている2番さんたち(年中)、リーダーとして一番会議をして、集団をまとめていかなアカン!と悩む1番さんたち(年長)。なかなかお互いの想いがうまく伝わらずに、ケンカして、泣いて、の繰り返しでようやく仲間意識が芽生え、一つのものを作り上げるなつあそび。少しお互いが分かり合えて、チームの一員として力が発揮できる運動会。一年間共に過ごした仲間との別れを悲しみながらも、自分の成長を実感する修了式。-その時々の子ども達の成長の証です。

 この森の子で3年間を過ごし、来年小学生になる次男ですが、人としての成長の階段を、無理に飛び越すことなく、確実にゆっくりと昇ってくれていると実感しています。3人目の子どもという余裕はあるにせよ、わが子が泣いて、悩んで、しんどい思いをしても、安心して子どもを託すことができます。
生きる力を確実に身に付けたから、なにがあっても大丈夫!! 

第1期生保護者母 記 (2006年1月現在 5年生)

 地域に友達もほとんど居ず、勉強も一切せずに小学校に入り、どうなるかと思っていましたが、ゆうこさんがいつも言っておられる「親が子どもに友達を作ってあげるのではなく、子ども自身が友達を作れる子にする」の言葉通り、学校の友達もいっぱいできました。勉強の方は、幼稚園からやっている子に比べるとかなり遅れをとりましたが、できて当たり前でなかった分、毎日毎日一緒に私の手作りのドリルで勉強して、すごく良い時間を親子共に過せてます。
 3年間通わすのに不安を抱いて当たり雨だと思いますが、親バカですが、娘は何か有った時に乗り越えられる底力が森の子で培われたと確認している今です。子どもってすごいですよ!


第1・4期生保護者母 記 (2006年1月現在 5年生・2年生)

 森の子を経験させてもらい、現在小5と小2になった息子と娘を見て感じることは、二人とも、男女を問わず色んなタイプの子と友達になれることです。きっとこれは森の子の少人数(深く付き合うこと)の効果ではないかと私は思います。少人数だから、ちょっと苦手な子とも協力していかなくてはならない。一緒にいる機会が多いから相手のいいところを見つけるチャンスもある。また、自分の弱いところもさらけ出してしまうが、その自分を乗り越えチャンスも沢山ある。息子は、「ケンカをしてる子の辛そうな気持ちがわかる」と言い、娘は、「ケンカした後の方が、友達と仲良くなれる」と、あっけらかんと言います。森の子時代、子ども達はよくケンカをしましたが、自分達で解決するのを待って下さる森の子の方針の中で、沢山の葛藤を越えながら人との関わりを学んだようです。
 また、子ども達は空想遊びが大好きで、例えば男の子がよくするカードゲームのような遊びでも、そこに独自のルールを付け足して遊ぶことがよくあり、一緒に遊んでいる子ども達も大盛り上がりします。出来上がった物ではなく自然のものを工夫して遊ぶ森の子では、そこにあるものでいかに遊びを作るかが醍醐味。そこで養った発想力
は、友達と遊ぶ中でとても活かされているようです。これらの力が将来何かに活かされるかどうかは解かりません。ただ、本人達の毎日が豊かなのではないかと思うのです。自然体で人と付き合え、トラブルがあってもそれをプラスにする力があれば、落ち込むことがあっても前向きでいられるでしょうし、身の回りにある素敵な物やおも
しろい物、また、大変なことの中にある楽しみを見付ける感受性が育っていれば、楽しいことを能動的に掴む事ができるでしょう。森の子には自律(自分を受け入れ、自分の感情をコントロールする)を大切にする中で、そのおもしろい素材と友、そして夢中になれる時間が本当に沢山ありました。まずは、豊かな心を育てること。その上に、その子の伸びる事や学習があればいいのかもしれないです。色んな情報を前に親として焦り、現在も右往左往しながら子育てしている私ですが、森の子で大事にされているものが子供の成長にはやっぱり大切だったんだ・・・と、つくづく思うこの頃です。もしかしたら、一番良かったことは、親である私自身がこういった事に気付けたことかもしれないです。


第5期生保護者父 記 (2006年1月現在 1年生)

「森の子」に入れてみて

 最初から森の子に入れることを決めていたわけではない。私立幼稚園の見学会にも出向いた。オルガンの演奏を聞かされて、英語の授業があるという説明を受けたりもした。でも、そこで行われた体験保育に、息子は頑として参加しようとしなかった。先生方はジュースなどを餌にして誘いの声をかけて下さるのだが、息子はおそらく、
「親元を離れられない頑固な子」としてしか見ていない相手の気持ちを見抜いていたのだろう。我々親にとってもそこはどうもしっくりこなかった。檻の中のフラミンゴや孔雀に魅力は感じられなかった。

 そして、森の子に出会った。公園をベースとした外遊びが中心で、時間割もなく、お仕着せの設定もなく、子どもたちが思いついた自由な遊びが繰り広げられるカリキュラム。年長、年中、年少の子どもが合わせて20人という縦割りのいわば「ごちゃまぜ」集団。そんな森の子に母子で見学に行った時、息子はやはりいやがって公園から逃げ出した。追いかけて来てくれた森の子の指導者、ゆう子さんが息子に声をかけてくれた。それはしっかりと息子に向き合ってくれるものだった。あれだけ頑なだった息子が、ゆう子さんには信頼を置いた。自分を個人としてきちんと認めてくれる人、愛してくれる人だと嗅ぎ分けたのだろう。母親も、心が真っ直ぐに子どもに向かっているそのゆう子さんの人柄に惹かれた。

 幼稚園は小学校の準備をするところではない。この時期にしかできないことをさせたい。ゆったりした時間と空間の中でとことん遊ぶことが大切だし、仲間とぶつかり合ったり、助け合ったりすることも大事だろう。そういうところで我々親の意見が一致した。そして、そんな森の子に息子を通わせることになった。
 次男であり、4歳まで沖縄で育った。親から見ると、輝くばかりの個性や才能を持っているように思えるのだが、人見知りが激しく頑固なところもある。なかなか一筋縄ではいかない。納得しないとテコでも動かないところがある。日本の幼稚園の画一的な教育から見ると、落ちこぼれに分類されてしまうのだろう。時間内に他の子供と同じことをやらないのだから。そういう教育では「できない」も「やらない」も一緒なのだから。

 そんな息子は、なんとか森の子に機嫌よく通い始めた。かといって最初から森の子の中でうまくやったというわけではない。年少にあたる「三番さん」の時代は「だだこね」をして、常に進行を遅らせる役だったという。森の子は学年毎のクラスではなくて、縦割りであるから、二年目の二番さんになると下級生が入ってくる。上の子が下の子の面倒を見るようになっている。でも、下級生ができても、まだ「だだこね」は続いていた。あることをめぐって、息子がみんなを2時間半待たせたことがある、とゆう子さんとの懇談で我々両親は聞いた。みんなで、なだめて、すかして、怒って、と手を変えて促すのだが、頑としてやろうとしない。そうして、2時間半が過ぎたのだと。普通なら、切り捨てられてしまうところだろう。でも、その日は、息子がやりたいけど、できない、それでもやろうとしている気持ちをくみ取り、みんなは待ってくれた。カリキュラムの効率からは考えられないことだが、森の子ではそうしなかった。その日予定していたプログラムをつぶしてそれにあてた。それが大事なことだとゆう子さんは考えた。普通なら1分も待って、それでもやらなければ交代させられているところだろう。待たされているほうも、もういいからあんなやつは放っておいて別の事をやろう、となるだろう。でも、そうはならなかった。みんなは働きかけ、待ってくれた。息子にとって、あの2時間半は、どれだけ貴重な体験になったことだろう。でもまあ、親としてはそんなだから心配もした。面談で何時間もゆう子さんと話しこんだ。でも、そんなこんなを通じ、森の子では、外面の行動ではなく、一人一人の心の動きまで見てくれているということが分かった。ゆう子さんは息子を信じてくれていた。殻を、自分で破れる時期を待っていてくれていた。子供に真剣に真正面から向き合って、対峙してくれていると思った。我が子を表面的でなく見てくれる、いい指導者にめぐりあえてよかったと帰り道に思った。

 息子と同じ学年は8人。男子が4人、女子が4人。同級生の7人には迷惑をかけたろう。干されて相手にされなくなった時期もあったらしい。でも、そんな中で、息子は自分なりに気づいていった。「一番さん」になって、ようやく、自分のポジションを見つけていった。おそらく、個性の違う8人がそれぞれ、3年間の関係の中で、お互いを認めるようになっていったのだと思う。息子はほかの7人を認め、また認められるように変わっていけたのだろう。成長できたのだろう。いつの頃からか、息子に変化が感じられるようになってきた。そうして、秋の運動会だった。準備の時期から、彼は「やる気」になっていた。そのことが家での彼の話の中で感じられた。最上級生らしく、先頭に立って動こうとする気概を見せはじめていた。見学に行った当日、彼は自信を持って行動していた。四つのチームにわかれて行われた対抗戦で、同じ一番さんの男の子と協力して、二番さん、三番さんを気遣い、率先して自主的に動
いていた。リレーでは思い切り走り、チームを鼓舞できるようになっていた。「海賊走りで頑張るぞ!」とかけ声をかけ、躍動していた。それは、やらされて型どおりの遊戯をしている姿ではなくて、信頼しうる仲間の中で、自分から殻を破って内からわき出る想いを表現している姿だった。自分の居場所を見つけて、自分の持てる力を心
おきなく発揮している姿だった。その姿を見ていて、涙が出た。ああ、この子を森の子に入れてよかった、と思った。
 園舎がない、給食もない、送迎バスもない、延長保育もない。そのかわり、公園という限られた自然ではあるけれど、その中で五感をフルに働かせて思いっきり遊ぶ。雨の日もカッパを着て外で遊ぶからどろだらけになる。たしかに洗濯は大変だ。でも、冷房暖房が効いた園舎の中よりも、公園の自然の中で雨を感じ、風を感じ、木の葉に埋もれ、木に登る。こちらのほうが、贅沢なのではないか。親の機嫌取りのような早期英語教育をやるより、お互いが時には感情をむきだしてとっくみあいの喧嘩をやったり、仲間意識を育てるほうが、地球のどこに行っても通用するのではないか。キンキン声のオペラ歌手の声を聞かせるより、野外で即興演奏のパーカッションの音を聞き、さまざまな民族楽器にふれたり、自分で土笛を焼いて吹くほうが本物なのではないのか。溝にはまった蛾の救出作業にみんなが知恵を出し合って心を寄せる。その心の動きを育てるほうが、正確に揃ってお遊戯をするよりも、ずっとずっと大事なのではないか。